サービス自慢の木場 居酒屋
温度は1800℃でもあるといい、その上で厚い土鍋がグツグツと沸騰している。
よく見ると、土鍋の底から鍾乳洞の石灰石のようなガラス状の針が無数に垂れ下がり、キラキラ光っている。
1800℃という高熱で熱せられたため、土鍋に含まれているガラス質がツララのように溶け出したのだという。
ひとしきり感心していると、女将は、戦前は土鍋の厚みがこの半分で、備長炭は最高900℃くらいまで温度が上がる。
現在のコークスの半分程度の温度だから、土鍋の厚みも半分の厚さでよかったのだろう。
しかし、研究熱心な店の主人は、スッポン鍋は高温で炊くほどスッポンのエキスが出て旨くなるということを勉強した。
そこで、あるとき備長炭からコークスに替え、さらに1800℃でも耐えられるよう土鍋も倍の厚さにしたというのだ。
300年つづく老舗でも、時代に合わせて調理法や味付けを変えている。
旨さを追求するためには、つねに創意工夫が大切だということである。
これは私が昔からいいつづけている言葉だが、人々の嗜好はどんどん変わっていく。
時代に合わせて、もっとも旨い味を提供してこそ老舗の意味があると思っているからである。
頑固といえば聞こえはいいが、何にこだわるか本質的なところを見据えず、ただ遥日の味にしがみついているだけの店は、老舗とはいえない。
もうひとつ、私が「老舗とは革新なり」を痛感したケースを紹介しよう。
それはFのガトー・フレーズ、つまりおなじみのイチゴのショートケーキのことである。
Fのケーキというと、大量生産された、いかにも平均的な味のケーキという印象をお持ちの方も大勢いるだろう。
子供の頃の私にとって、Fは、F、Sとならんで、国産ブランドにおけるお菓子の御3家だった。
子供にとっての、いわゆる。
銀座の味というもので、とくにFのショートケーキは大好物だった(ついでにいえば、店内で食べるソフトクリームやホットケーキにも目がなかった)。
じつは、Fのショートケーキはいまも私の好物で、40年以上にわたって誕生日にはかならず食べているほどなのだが、最近、いま食べているFのショートケーキと、私が子供の頃に食べていたFのショートケーキとでは、じつはまったく味が変わっていることを初めて知った。
私はフランス料理アカデミー協会という団体の事務局長をしているが、同じ協会の理事であるフランス人と知遇を得たのが、そのFの味の秘密を知るきっかけだった。
彼はFの洋菓子のアドバイザーをしており、その彼がいうことには、昭和34年以来、Fのショートケーキは、レシピを22回も変更してきたという。
昔の材料の味は、現在とだいぶ質の点で違いがある。
小麦粉の種類、卵やバターの分量、バニラエッセンスやリキュールの種類や分量など、すべての材料の質と分量を、その時代その時代の人々の嗜好に合わせて変えてきたというのである。
もちろん、その間、大量生産のための技術革新が進み、ケーキの製法そのものも変化しているから、それに合わせたレシピの変更ということもあっただろうが、ともかく、私が昔ながらの味だと思っていたショートケーキが2回も味が変わっていたとは……。
しかし、考えてみれば、それも当然の話だと思った。
子供の頃の私の味覚と、現在の私の味覚は当然、変化している。
にもかかわらず、Fのケーキがいつも同じ味だと感じられたのは、ケーキの味が私の味覚に合わせるように変わっていたということである。
40年前の物をいま食べたら、質の違いにきっとびっくりするはずである。
消費者に味が変わったことを悟られず、それでいて何十年もの間、多くの人々に愛されつづけているケーキとは、考えてみれば、もの凄い存在ではあるまいか。
ちなみに最近のFのケーキは、生クリームの質や洋酒の変化が私の口に合わなくなってきたので、担当者にそう話したところ、現在社内で、クリームや洋酒などさまざまな角度から検討しているとのことだ。
楽しみに待っているところである。
和菓子の世界でも、こんな例がある。
銀座に、いつも行列ができる最中の老舗がある。
先代は、極上の北海道産小豆しか使わないというこだわりの持ち主で、そのこだわりが老舗の味を守っていたのだが、現在の当主は、かならずしも北海道産の小豆にはこだわらないという。
理由は、こういうご時世を反映して、いつもいつも北海道産の極上小豆が手に入るとは限らなくなってきたからである。
そんなとき、彼は、それと同等の小豆を他から探してくるか、どうしても手に入らないときは、小豆の品質に合わせて、三温糖をグラニュー糖に変えるなど、製法を微妙に変え、現代風にアレンジすることで。
老舗の味を守ろうとしている。
また、ある老舗のうなぎ屋は、天然ものしか使わないが、国産の天然うなぎの漁獲量が激減したため、フランスで獲れた天然うなぎを空輸させて使っている。
これは主人がフランス料理を食べ込んできたことも大きな理由。
最近は、気候を考えるとフランスよりベルギーのうなぎのほうが旨いのではないかと目をつけているというから、老舗の主人としてはまことに革新的である。
料理人にこだわりは大切だが、頑固でありさえすれば、いいものが作れるというわけではない。
いい材料が手に入らないから料理を作らないというのは、一見するとかっこいいけれど、創意工夫してそのマイナスをカバーしようとすることのほうが、私は素晴らしいと思う。
なぜなら、そうした新しいものに挑戦する気持ちが、新たな「うまさの方程式」を生み出していくからだ。
私は、フランス料理やワインを広く日本に紹介したという理由でフランス政府から農事勲章を、またボルドーからボンタンの騎士賞を授与された。
96年には、ブルゴーニュからシュヴァリエードウータストヴァン騎士賞を授与されたのだが、その授賞式のとき、空いた時間を見つけて、パリの3つ星レストラン『A』に立ち寄ったときのことである。
この店は、その年の7月までオーナーシェフをしていたJの店だった。
彼は、以前から50歳での引退を宣言しており、その宣言どおりに店を閉めた。
そして、後を引き継ぐ形で、新たなオーナーシェフになったのが、モナコの『H』の料理長だったAだった。
Aとは、15年来の友人である。
私は、オーナーシェフになった彼がどんな料理を作るのか興味津々だった。
『A』を訪れたのは昼食時で、店はたいそう繁盛していた。
聞けば、3か月先まで予約でいっぱいとのこと。
これは入れそうにもないなとあきらめかけたとき、私を見つけたAは「ぜひ昼食を食べていってくれ」といって、キッチンわきの料理長専用のテーブルに案内してくれた。
まずは本日のおすすめ料理を数点平らげた。
モナコ時代から彼の味は知っていたが、その日の新作料理には、より旨味が増していた。
最後に出てきたのは、彼の新作料理でテュルボー(ヒラメの一種)を使った料理だった。
「この料理をどう思うか」と尋ねられ、味見をしていると、彼は心配そうに私をのぞきこみながら、さらに「味はどうか」と聞いてくる。
私は、ソースに少し酸味が足りないと感じ、正直にその旨を伝えた。
彼は「そうか」といって、さまざまな酸味を持ってきてくれた。
そのなかでもっとも相性がよかったのはライムだった。
料理全体が引き締まり、旨味に加え、切れ味がさらに良くなった。
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